FAXの受信音が鳴るたびに、席を立って紙を取りに行く。手書きの台帳をめくって在庫と照合し、電話で「これ読めないので確認させてください」と聞き直す。先代の時代からずっとそうしてきたやり方が、社長を継いだ今も変わらず続いている——という会社は、実は珍しくありません。結論から言えば、FAX・手書き台帳からの受発注を抜け出す第一歩は、いきなり全部をシステム化することではなく、「今の受発注の流れを紙に書き出して、どこで人の手が止まっているかを可視化する」ことです。全面的なシステム入れ替えよりも、まずは現状の棚卸しと、負担の大きい一箇所だけをデジタル化する小さな実験の方が、承継直後の会社には向いています。
この記事は、こんな状態にある社長に向けて書いています。先代から会社を継いで数年、取引先とのFAXでの受発注はそのまま引き継いだものの、正直「これはさすがに変えたほうがいいのでは」と思い始めている(FAX以外にも、先代のExcel台帳が同時に開けず困っているなら同時に開けない先代のExcel台帳、システム化の判断ラインはどこかも参照してほしい)。だが古参の事務担当者は長年FAXと台帳でやってきたベテランで、変更を切り出すと「今のままで問題ないですよ」と返されそうで及び腰になっている。取引先の中にも高齢の担当者がいて、システムを変えたら注文が来なくなるのではという不安もある。株式や登記の引継ぎには税理士や司法書士という相談先がいたのに、日々の受発注をどう変えていくかについては、誰に聞けばいいのかも分からない——そんな孤独感を抱えている経営者は、あなただけではありません。
FAX受発注が「悪」というわけではない
まず断っておきたいのは、FAXでの受発注そのものが即座に否定されるべきものではないという点です。FAXには、電話のように相手の手を止めずに済み、紙という形で記録が残り、パソコン操作が苦手な担当者でも使えるという利点があります。長年の取引の中で築かれた「あの会社はFAXで送ればすぐ対応してくれる」という信頼関係も、軽視すべきではありません。問題は、FAXや手書き台帳が「唯一の受発注手段」になっていて、そこに業務が集中しすぎている状態です。担当者が一人しかその運用を把握していない、字が読みにくくて聞き直しの電話が頻発する、注文数量の見間違いで欠品や過剰在庫が起きる——こうした個別の困りごとが積み重なっている場合は、変える理由がすでに存在しています。
なぜ「今すぐ全部システム化」は失敗しやすいのか
承継直後の社長が受発注のデジタル化を考えるとき、最初に頭に浮かぶのは「受発注システムを導入する」という大掛かりな選択肢かもしれません。しかし、いきなり全社的なシステム導入に進むと、いくつかの壁にぶつかりやすくなります。第一に、取引先ごとに発注方法が異なるため、システムが対応できる範囲を最初から見誤りやすいこと。第二に、初期費用や月額利用料が発生し、承継直後で資金の使い道に慎重になっている時期には決断しづらいこと。第三に、そして最も大きいのが、現場の抵抗です。古参社員が「今までのやり方でうまくやってきた」という自負を持っている場合、トップダウンで新システムを押し付けると、表面上は従っても実際には裏でFAXと台帳を使い続けるという「二重運用」が発生し、結局元に戻ってしまいます。
実際、中小企業の受発注はまだFAXが主流
この感覚は思い込みではありません。中小企業庁が公開している資料でも、中小企業の受発注業務は電話やFAXを用いた対応が一定数残っており、電子的な受発注への移行が課題として位置づけられています。実際、受注側企業でも電子受発注に対応している割合はまだ半数程度にとどまるという調査結果が示されており、FAXや手書きのやり取りが今も現役で使われている業界は多数派に近い状況です。つまり、あなたの会社だけが取り残されているわけではなく、業界全体が同じ課題を抱えているというのが実情です。この事実は、社内で変更を切り出す際にも使える材料になります。「うちだけが遅れているわけではなく、業界全体の課題として国も動いている」と伝えることで、古参社員の「今のままでいいのでは」という感覚を、頭から否定せずに前に進めることができます。
第一歩は「棚卸し」——現状の受発注フローを書き出す
デジタル化の第一歩として最も効果があるのは、システムを探すことではなく、今の受発注の流れを紙一枚に書き出すことです。以下のような項目を、実際に手を動かして書き出してみてください。
- 取引先ごとの発注手段(FAX・電話・メール・対面)とその件数の割合
- 注文を受けてから在庫確認、納品、請求までの各工程で誰が何を担当しているか
- 台帳に転記する作業が何回発生しているか(FAX→台帳→在庫システム→請求書、のように何度手で書き写しているか)
- ミス・聞き直し・再送信が発生した回数とその原因(字が読めない、数量欄が空白、FAXが不鮮明など)
- その業務を止めたら会社が困る度合い(その担当者が休んだら受発注が止まるかどうか)
この棚卸しをやってみると、たいていの会社では「FAXそのもの」が問題ではなく、「FAXの後工程」で転記や確認作業が何度も重複していることが見えてきます。デジタル化で最初に手を付けるべき箇所は、まさにこの重複部分です。
転記の「二重・三重」をなくすところから始める
FAXで受け取った注文書を、まず台帳に手書きで転記し、さらにそれを在庫管理の紙やExcelに書き写し、最後に請求書を作るために再度入力する——という「三重転記」が起きている会社は少なくありません。この場合、いきなりFAXをやめる必要はありません。まずは「FAXで受け取った注文を、最初の1回だけ入力すれば済む仕組み」を作ることが優先です。具体的には、FAXの内容を担当者がその場でExcelやスプレッドシートに直接入力し、そこから在庫管理・請求書作成まで自動的に連動させる、という小さな改善から始められます。この段階では大きな投資は不要で、既存のExcelファイルの構成を見直すだけでも効果が出ることがあります。
手書き台帳のデジタル化は「移す」より「置き換える理由」を作る
手書き台帳をそのままExcelに置き換えようとすると、多くの場合失敗します。なぜかというと、台帳は長年の運用の中で独自の書き方や省略記法が定着しており、それをそのままデジタルに移植すると、紙のときと同じ使い方しかできない「電子化された紙」になってしまうからです。台帳のデジタル化を進める際は、「なぜ台帳ではなくデジタルにするのか」という理由を明確にすることが重要です。例えば、複数拠点で同じ在庫情報をリアルタイムに見たい、過去の注文履歴を検索して同じ間違いを防ぎたい、後継者や新人でも同じ精度で対応できるようにしたい——といった目的があれば、デジタル化の設計もそれに沿ったものになります。目的のないままの「とりあえず電子化」は、結局誰も使わない台帳のコピーを作るだけで終わります。
古参社員との向き合い方——切り出し方が9割
デジタル化の議論で最も難しいのは、システムの選定よりも、長年FAXと台帳を運用してきた古参社員との合意形成です。ここで避けたいのは、「もう古いやり方はやめよう」という否定から入ることです。先代の時代に築かれたやり方を否定されたと感じると、古参社員は防御的になり、変化そのものに抵抗するようになります。有効なのは、「あなたが一番大変な思いをしている部分はどこか」を先に聞くことです。多くの場合、古参社員自身も「聞き直しの電話が面倒」「字が読みにくい注文書に困っている」といった不満を抱えています。その不満を解消する手段として新しい方法を提案すれば、変化は「押し付け」ではなく「困りごとの解決」として受け止められやすくなります。
「今のFAXのやり方で一番面倒だと感じる作業はどこですか」——この一言から始めるだけで、古参社員の反応は大きく変わります。
取引先への配慮——先代の代からの関係を壊さないために
受発注のデジタル化は自社内だけの問題ではありません。取引先の担当者が高齢で、パソコンやシステムに不慣れな場合、急にシステムへの入力を求めると関係が悪化するリスクがあります。ここで重要なのは、「FAXをやめてもらう」のではなく「FAXも残しつつ、選べる手段を増やす」という設計です。取引先にはこれまで通りFAXで送ってもらい、自社側でその内容をデジタルに変換する、あるいは希望する取引先だけメールやWeb発注フォームに切り替えてもらう、という段階的な移行が現実的です。先代の代から続く取引関係を尊重しながら、無理のない範囲で選択肢を広げていく姿勢が、承継後の経営者には特に求められます。
中小企業共通EDIという選択肢を知っておく
受発注のデジタル化を検討する際、ゼロから独自のシステムを作る必要はありません。中小企業庁は、IT導入に不慣れな中小企業でも比較的低コストで受発注業務を電子化できる仕組みとして「中小企業共通EDI」の仕様を策定し、実証事業を進めてきました。この実証事業では、受注側・発注側ともに業務時間が大幅に削減される効果が確認されています。共通EDIは特定のベンダーに縛られない汎用的な仕組みであることが特徴で、取引先が異なるシステムを使っていても、共通の規格を通じてデータをやり取りできる点が中小企業にとってのメリットとされています。導入を検討する際は、こうした公的な取り組みの存在を知っておくと、ベンダー選定の際の判断材料が一つ増えます。
ISDN回線廃止という「外部からの後押し」
もう一つ知っておくべき事実があります。NTTのISDNサービス(INSネット)のデジタル通信モードは、サービス終了が進んでおり、これまでISDN回線を使ってFAXやEDIをやり取りしていた企業にとっては、通信インフラ自体の見直しが避けられない状況になっています。これは経営判断としてのデジタル化だけでなく、通信環境の変化という外部要因からも受発注の見直しが必要になっているということを意味します。「うちはまだFAXで大丈夫」と思っていても、使っている電話線やFAX機の通信方式によっては、遠くない将来に見直しを迫られる可能性があります。この機会に、現在使っている通信環境がどの方式に依存しているのかを、一度電話会社や機器の保守業者に確認しておくことをおすすめします。
補助金という後ろ盾を活用する
資金面での不安がある場合、公的な補助金の活用も検討材料になります。中小企業庁が実施する「デジタル化・AI導入補助金」では、受発注に関するソフトウェアやクラウドサービスの利用料が補助対象となる枠が用意されており、インボイス対応を含む電子取引化の取り組みが後押しされています。補助金は申請要件や公募期間が毎年度変わるため、検討する際は必ず中小企業庁や補助金事務局の公式サイトで最新の公募要領を確認してください。補助金があるからといって不要なシステムを導入する必要はありませんが、「どうせ自己資金だけでは無理」と最初から諦めてしまう前に、活用できる制度がないか確認する価値はあります。
小さく始める——まずは1社、1品目から
デジタル化を進める際に有効なのは、全取引先・全商品を一気に切り替えるのではなく、比較的協力的な取引先1社、あるいは注文数の多い商品1品目だけを対象に試してみることです。小さな範囲で試すことで、システムや運用ルールの不備を早期に発見でき、失敗しても被害が限定的です。うまくいけば、その実例を社内や他の取引先に示す材料になります。「A社との受発注をデジタル化したら、聞き直しの電話が月に20回あったのが2回に減った」というような具体的な成果があれば、古参社員や他の取引先への説明も格段にしやすくなります。
CSVという「地味だが強力な」つなぎ役
受発注のデジタル化において、意外と重要な役割を果たすのがCSV形式のデータです。CSVでのデータ連携は、台帳が「重くて開けない」状態を放置した場合に起きるリスク(先代の台帳が「重くて開けない」を放置するとどうなるか)を避ける手段としても有効です。異なる会社・異なるシステムの間でデータをやり取りする際、専用のシステム連携がなくても、CSV形式でエクスポート・インポートできれば、多くの業務が回るようになります。例えば、取引先から送られてくる注文データをCSVで受け取れれば、それをそのまま自社の在庫管理表に取り込むことができ、転記作業そのものをなくせます。逆に、自社からCSV形式で発注データを出せるようにしておけば、取引先側のシステムにもそのまま取り込んでもらえる可能性が高まります。CSVは古い形式ですが、業種や規模を問わず広く対応しているため、承継直後で大掛かりなシステム投資をまだ決断できない段階でも、比較的低コストで導入できる「つなぎ役」として機能します。
Excelのままでも変えられることがある
「システムを入れる予算がない」という場合でも、今使っているExcelの使い方を見直すだけで改善できることは多くあります。例えば、FAXの内容を入力するシートと、在庫を管理するシートが別々のファイルになっている場合、それを一つのファイルの中で関数によって連動させるだけで、二重入力が減ります。また、入力欄に決まった形式以外を入れられないよう制限をかける、よく使う取引先名や商品名をリストから選べるようにするなど、Excelの標準機能だけでもミスを減らす工夫は可能です。こうした改善は、VBAマクロを使えばさらに自動化できますが、社内に詳しい人がいない場合は、まずは関数や入力規則といった標準機能の範囲で十分に効果が出ます。
ノーコード・ローコードという中間的な選択肢
本格的な受発注システムを導入するには早い、けれどExcelだけでは限界がある——という中間的な状況にある会社には、ノーコード・ローコードのツールを使う選択肢もあります。将来的にkintoneのような業務システムへ本格移行する場合は、kintoneに移行する前に整理しておきたい先代データの項目で紹介しているデータ整理の考え方が役立ちます。プログラミングの専門知識がなくても、画面上の操作で入力フォームやデータの流れを組み立てられるサービスが増えており、FAXの内容を入力するフォームを作り、そこから在庫や請求書へ自動的にデータを流す、という仕組みを比較的低コストで構築できます。ただし、こうしたツールを導入する際は、必ず「誰が運用を引き継ぐのか」を先に決めておくことが重要です。導入した人が退職・異動すると、誰も触れないブラックボックスになってしまうリスクがあるため、操作マニュアルを簡単でも作っておく、複数人で使い方を共有しておくといった備えが欠かせません。
データが汚いままではデジタル化は失敗する
FAXや手書き台帳から得られる情報は、表記のばらつきが多いという特徴があります。同じ取引先でも「株式会社」と「(株)」が混在していたり、商品名の表記が担当者によって異なっていたりすることは日常的に起こります。このような状態のままシステムに取り込むと、同じ取引先や商品が別々のデータとして扱われてしまい、集計や分析が正しく行えません。デジタル化を進める前提として、データクレンジング、つまり表記を統一し重複や誤りを取り除く作業が必要になります。地味な作業ですが、この工程を飛ばしてシステムだけ導入すると、「システムを入れたのに前より使いにくい」という不満が生まれる最大の原因になります。
業務の自動化ツールを使う場合の注意点
Excelやメールでの受発注データのやり取りを自動化する手段として、決まったフォーマットのメールが届いたら自動的にExcelへ反映する、といった自動化サービスを活用する会社も増えています。こうした仕組みを作れば、担当者が毎回同じ作業を手で繰り返す必要がなくなります。ただし、こうした自動化ツールも、元のデータの形式が毎回バラバラだと正しく動作しません。自動化を検討する前に、まずは受発注データのフォーマットをある程度統一しておくことが前提条件になります。順序としては、フォーマットの統一→転記の削減→自動化という段階を踏むのが、失敗の少ない進め方です。この順序を逆にして、フォーマットが乱れたままいきなり自動化ツールを導入すると、想定外のデータが流れてきたときにエラーで止まってしまい、結局担当者が手作業で例外処理をする羽目になり、「自動化したのに前より手間がかかる」という本末転倒な状態に陥ります。導入前に、少なくとも数か月分の過去のFAXや台帳を見返して、フォーマットのばらつきがどの程度あるのかを把握しておくことをおすすめします。
導入コストをどう見積もるか
デジタル化を検討する際、経営者としてまず気になるのはコストでしょう。ここで注意したいのは、「システム導入費」という一時的なコストだけでなく、「今のやり方を続けるコスト」も同時に見積もることです。聞き直しの電話に使う時間、転記ミスによる再発送や返品対応、台帳を読み解ける担当者が限られていることによる休みづらさ——これらは目に見えにくいコストですが、担当者の時給や、ミス発生時の対応時間を仮に数字として置いてみると、年間でどれだけの負担になっているかが見えてきます。例えば、1日30分の聞き直し対応が発生しているとすれば、月20日稼働で10時間、年間では120時間分の人件費が「今のやり方を維持するコスト」として毎年発生していることになります。この数字を先代の時代の慣習と比べてみると、変化のための投資判断がしやすくなります。逆に言えば、その負担が小さいのであれば、無理に変える必要はないという判断も、同じ計算方法で下せます。
「うちの業界は特殊だから無理」という思い込みを検証する
デジタル化の相談を受けると、多くの経営者が最初に口にするのが「うちの業界は特殊だから、システム化は難しい」という言葉です。確かに、扱う商品の種類が多い、取引先ごとに独自の単位や規格がある、季節によって注文の傾向が大きく変わるなど、業界特有の事情はあるでしょう。しかし、こうした「特殊性」の多くは、実際にはデジタル化を妨げる本質的な理由ではなく、「今のやり方に慣れているから、他の方法を想像しにくい」という心理的な壁であることが少なくありません。棚卸しの段階で、その特殊性が本当にシステム化を阻む要因なのか、それとも単に今まで検討したことがなかっただけなのかを、一度立ち止まって考えてみる価値があります。実際、FAX・台帳中心の運用を続けてきた業界の多くで、少しずつデジタル化が進み始めているのが現状です。「特殊だから無理」と決めつける前に、同業他社がどのような取り組みをしているかを、展示会や業界団体の情報を通じて調べてみることをおすすめします。
現場の声を拾う仕組みを作る
デジタル化を一度進めたあとも、それで終わりではありません。新しい仕組みを導入した直後は、現場からさまざまな不満や改善提案が出てきます。「この項目は入力しづらい」「この画面はもう一手間減らせるはず」といった声を、経営者自身が定期的に拾う仕組みを作っておくことが、デジタル化を長続きさせる鍵になります。ここでも、古参社員が最初に感じる違和感は貴重な情報です。彼らは長年の実務経験から、システムが想定していない例外パターンを知っていることが多く、その知見を無視して仕組みを固定化すると、現場が使わなくなり元のFAXと台帳に戻ってしまいます。月に一度、短時間でも「使ってみてどうだったか」を聞く場を設けるだけで、定着率は大きく変わります。
新人・後継の育成という視点からもデジタル化を見る
FAXと手書き台帳による受発注は、長年の経験を積んだ担当者にしか運用できない「暗黙知」に依存しがちです。読みにくい手書き文字を判断する、取引先ごとの独自の言い回しを理解する、台帳の省略記法を解読する——これらは新人にはすぐに引き継げないスキルです。デジタル化を進める目的の一つとして、「特定の人にしかできない業務」を減らし、誰が担当しても同じ精度で対応できる体制を作るという視点を持つことをおすすめします。これは今の担当者を軽視することではありません。むしろ、その担当者が休暇を取りやすくなる、引き継ぎの負担が減る、将来的に後継の社員や、あなたの次の世代の経営者にも引き継ぎやすくなるという、長期的な安心材料になります。承継を経験したあなただからこそ、「引き継ぎのしやすさ」がいかに重要かを、身をもって理解しているはずです。
承継直後だからこそ持てる「変える理由」
承継直後の社長には、実は大きなアドバンテージがあります。それは、「新しい社長になったタイミングだから」という、変化を切り出すための自然な理由を持てることです。先代が長く同じ体制を続けてきた会社であれば、古参社員も取引先も、ある程度の変化を予期しています。むしろ何も変わらないことに違和感を覚える関係者もいるかもしれません。この「代替わりのタイミング」という機会を活かし、「これまでのやり方に感謝しつつ、これから先の10年を見据えて少しずつ見直していきたい」という姿勢で伝えれば、先代への敬意を保ったまま前に進むことができます。逆に、このタイミングを逃して数年経ってから変更を切り出すと、「今さらなぜ変えるのか」という抵抗がむしろ強くなることもあります。
事務担当者が一人しかいない会社ほど早く動くべき理由
受発注の運用を一人の担当者だけが把握している、いわゆる「一人体制」の会社は、規模の小さい中小企業ほど多く見られます。この状態は、その担当者が長期入院や退職といった事態になった瞬間、受発注そのものが止まってしまうという重大なリスクを抱えています。台帳の書き方や取引先ごとの癖を知っているのがその人だけであれば、代わりの人がすぐに同じ精度で対応することはできません。承継直後の社長にとって、こうした「一人に依存した業務」の洗い出しは、受発注のデジタル化を検討する以前に、事業継続の観点からも優先度の高い課題です。もしまだ棚卸しをしていないのであれば、まずは「この業務が止まったら会社としてどれくらい困るか」を担当者ごとに整理し、依存度の高い業務から手を付けていくことをおすすめします。デジタル化は、業務効率化だけでなく、事業のリスク管理としての側面も持っているのです。
取引先からの信頼を新しい形で得るチャンスにする
先代の代から続く取引先の中には、「FAXで送ればすぐ対応してくれる、あの会社は安心できる」という理由で長年付き合いを続けてきたところも多いはずです。この信頼関係は、デジタル化によって損なわれるものではなく、むしろ形を変えて強化できるものです。例えば、受発注をデジタル化することで、注文の履行状況をリアルタイムで取引先に共有できるようになれば、「今どの段階にあるのか分からず不安」という取引先側のストレスを減らすことができます。また、過去の注文履歴を素早く検索できるようになれば、「前回と同じ内容で発注したい」という取引先からの依頼にも即座に対応できます。先代が築いた信頼を土台にしながら、承継した社長が新しい安心感を積み重ねていく——そうした発想でデジタル化に取り組むと、取引先にとっても歓迎される変化になります。
相談先がいないという孤独感への対処
株式の承継や登記の変更には、税理士や司法書士という明確な相談先が存在します。しかし、日々の受発注をどう変えていくかについては、多くの経営者が「誰に相談すればいいのか分からない」という孤独感を抱えています。実際、この分野は業種ごとの慣習や取引先との関係性が絡むため、一般的なITベンダーに相談しても、自社の実情に合わない提案をされることも少なくありません。まずは同業の経営者仲間に、デジタル化の取り組み状況を聞いてみることや、商工会議所・中小企業診断士などの公的な相談窓口を利用することも一つの手段です。中小企業庁のサイトには受発注デジタル化に関する情報がまとまっており、無料で閲覧できる資料も公開されています。相談先がないと感じたときは、まず公的機関の情報に触れてみることから始めてみてください。
季節・繁忙期を考慮したタイミング選び
受発注のデジタル化を始めるタイミングも、成功と失敗を分ける要素の一つです。繁忙期に新しい仕組みを試すと、現場は目の前の業務に追われて新しいやり方を覚える余裕がなく、「やっぱり前のやり方の方が早い」という結論に流れやすくなります。逆に、閑散期であれば、多少の試行錯誤にも耐えられる余力があります。業種によって繁忙期は異なりますが、自社の年間の受発注量を振り返り、比較的落ち着いている時期を見極めてから、小さな実験を始めることをおすすめします(承継1年目、決算月をまたぐ前後でシステム確認の優先度がどう変わるかは承継1年目、決算月をまたぐ前後でシステム確認の優先度はどう変わるかも参照)。また、決算期や税務の対応と時期が重なると、経営者自身の時間も取られてしまうため、そうしたタイミングも避けて計画を立てるとよいでしょう。
デジタル化の後も残る「紙」との付き合い方
受発注のデジタル化が進んでも、紙が完全になくなるわけではありません。取引先から届くFAXそのものは残り続けるかもしれませんし、法令や社内規定によって一定期間の書類保存が求められる場合もあります。大切なのは、「紙を完全にゼロにする」ことを目標にするのではなく、「紙が発生した後の処理を効率化する」ことに焦点を当てることです。FAXで受け取った紙をスキャンして保存し、検索できる状態にしておくだけでも、後から過去の注文内容を確認する際の手間は大きく減ります。デジタル化とは、紙をなくす活動ではなく、紙に依存しなくても業務が回る状態を作る活動だと捉えると、無理のない計画を立てやすくなります。
進め方のロードマップを描く
ここまでの内容を踏まえ、実際にどのような順序で進めるべきかを整理します。
| 段階 | やること | 目安の期間 |
|---|---|---|
| 1. 棚卸し | 受発注フローを書き出し、負担の大きい箇所を特定する | 1〜2週間 |
| 2. 対話 | 古参社員・主要取引先に困りごとをヒアリングする | 2〜4週間 |
| 3. 小さな実験 | 1社・1品目でデジタル化を試す(CSVやExcel連携など) | 1〜3か月 |
| 4. 検証 | 効果(時間削減・ミス減少)を数字で確認する | 実験と並行 |
| 5. 拡大判断 | 効果が出た範囲を広げるか、システム導入を検討する | 実験後に判断 |
この順序で進めると、大きな失敗をする前に軌道修正ができ、社内外の合意形成も段階的に積み重ねられます。
焦って全社導入に進まないための心構え
「同業他社はもうシステムを導入している」という情報を聞くと、焦って一気に進めたくなる気持ちは理解できます。しかし、受発注は会社の血流にあたる業務であり、ここで大きな失敗をすると、取引先からの信頼を失うリスクに直結します。デジタル化のスピードよりも、確実に一段ずつ積み上げることの方が、承継直後の経営においては重要です。先代が築いてきた取引関係を守りながら、少しずつ会社の体質を変えていくという姿勢が、結果的には最も速く、最も安全にゴールへ近づく道になります。
自社側の脱FAXが進んでも、取引先側の対応が追いつかないことは多い。FAXでの受注をやめられない取引先との、段階的な移行の進め方で進め方を整理している。
まとめではなく、次の一歩として
FAXと手書き台帳からの脱却は、一朝一夕には終わりません。しかし、今日のうちにできることは確かにあります。まずは受発注フローを紙に書き出してみること。それだけで、これまで見えていなかった負担の在り処が見えてきます。先代から引き継いだやり方を否定するのではなく、その先にある10年、20年を見据えて、少しずつ形を変えていく——それができるのは、会社の歴史と現場の両方を知っている、承継した社長であるあなただからこそです。今日の一枚のFAXから、次の一歩を始めてみてください。
